パレスチナ問題レポート

さて、リクエスト(4.21)の1番「パレスチナイスラエル問題について調べてほしい」の調査結果報告です。

調査といっても、関連書籍とネットからの情報を取捨選択してまとめた感じです。

このテーマを取り上げた本は入門書から専門書までたくさんあるし、ネットにもウィキペディアに始まって膨大な情報があります。そんな中、僕が付け焼刃の知識で下手なレポートをあげたところで果たして意味があるのか。今回このブログではどういうことを取り上げるか迷いました。


結論。以下の3つの項目に分けて調査結果を報告します。
パレスチナ問題について話すときよく出てくる語句の説明
■ざっくりと(出来る限り私見をはさまずに)問題の概要
パレスチナ問題関連の映画の紹介

この問題を考えるきっかけ、入り口を作る感覚で書きます。

これまでの代行と雰囲気違うし、なんか興味ないやって人は避けてもらっても構いません。
ただ、お堅いやつもやれるんだぞ、と 笑
もし暇なら、たとえ興味なくても、たまにはこういうこと考えてみましょう。

では。


■よく出てくる語句の解説
パレスチナ(地域):本来、今でいうイスラエルを中心とした地中海東岸の一帯の地域のことを指す。古くは「カナン」といった。今は、限定的にパレスチナ自治区(ヨルダン側西域とガザ地区)のことを指すこともある。写真の薄いところ。(写真はWikipediaより)


パレスチナ:1948年(イスラエル建国宣言の年)の時点でパレスチナの地域に住んでいて、そこを故郷と認識していたアラブ人のこと。少数ながらキリスト教徒もいる。

アラブ人アラビア語を話し、アラブ文化を受容するもの。必ずしも、アラブ人=イスラム教徒ではない。

イスラーム唯一神ヤハウェを信じる。7世紀に預言者であるムハンマドアラビア半島で創始。

ユダヤ:いくつか考え方があるが、「ユダヤ教を信じるもの」「ユダヤ人の母(親)を持つもの」というのが一般的。人種は関係ないと考えてよい。

ユダヤ教唯一神ヤハウェを信仰する。紀元前2000年紀にパレスチナに移住した、後のユダヤ人となるヘブライ人の一派が苦難の中で創始したといわれる。この世の終末にメシア(救世主)があらわれ、契約したユダヤ人だけが救われるという思想をもつ。

シオニズム運動ユダヤ人はシオン(エルサレムの雅名)に帰ってユダヤ人国家を再建しよう、という考え。19世紀にナショナリズムの高揚とともに、各地でユダヤ人への弾圧が激化したころ生まれ広まった。1世紀ごろにローマに滅ぼされ世界各地に離散してから2000年近く遠ざかっていたパレスチナを、なおも自分たちのものと考える根拠は、旧約聖書の記述に、パレスチナヤハウェに与えられた約束の地(「イスラエル」)だ、とあること。

エルサレムユダヤ教イスラーム教・キリスト教それぞれの聖地。
ユダヤ教にとって→かつてユダヤ人王国の都が置かれ、ユダヤ教最高の神殿があった。「嘆きの壁」はこの神殿の跡とされる。イスラーム教にとってムハンマドが昇天し神とまみえた場所とされている。昇天の際使ったとされる石を守るために作られたのが「岩のドーム」である。また、イスラーム教創始当初は礼拝の方向はエルサレムの方だった(ユダヤ人の援助を得るためだったといわれる)。現在では、メッカ、メディナに次ぐ第三の聖地。キリスト教にとって→キリストが処刑された「ゴルゴダの丘」がある。そこには「聖墳墓教会」が建てられている。


パレスチナ問題の概要

歴史に沿って簡単に説明してみます。

前2000年紀ごろ ヘブライ人の一派がパレスチナに移住

前10世紀 ダビデ王の下でエルサレムを首都とする「イスラエル王国」が建国される

紀元後6年 イスラエルはローマの属州になる

1〜2世紀ごろ ユダヤ戦争に敗北し、ユダヤ人はパレスチナを出て散り散りになる←「ディアスポラ

7世紀 パレスチナイスラーム勢力の支配下になる。(以降オスマントルコ時代も含め、アラブ人が住民の大半という時代が続く)

19世紀 シオニズム運動。ユダヤ人がパレスチナに移住し始める。

1914年 第一次世界大戦勃発 
 
パレスチナ問題最大の原因「イギリスの三枚舌外交」:イギリスが戦時中三つの勢力に三様の矛盾する約束をしたため、それが原因となり争いが始まった。そして現在のパレスチナ問題へとつながることになる。】

1915年 「フサイン・マクマホン書簡」相手はアラブ人:大戦後にアラブ人国家の建設をするという約束

1916年 「サイクス・ピコ協定」相手はフランス:オスマン帝国の領土を三分割統治(英仏+ロシアで)しようという約束

1917年 「バルフォア宣言」相手はユダヤ人:パレスチナ内にユダヤ人の「民族的郷土」(ナショナルホーム)を建設する支援をするという約束

当然その後いろいろもめる ユダヤ人の大規模移住は続く

1947年 イギリスは国連に判断を任せる 国連決議181号(パレスチナの56.5%の土地をユダヤ国家、43.5%の土地をアラブ国家とし、エルサレムを国際管理とする wikipediaより)可決

1948年 イスラエル建国宣言→アラブ側諸国が反発して第一次中東戦争に突入。決議の1・5倍の領土をイスラエルが獲得。100万近くのパレスチナ難民が発生する。

1956年 エジプトのスエズ運河国有化をきっかけに第二次中東戦争 中東問題の主導権が英・仏から米・ソへ

1964年 PLO結成

1967年 第三次中東戦争イスラエルが大勝 東西分割されていたエルサレムイスラエルが支配するようになる

1973年 第四次中東戦争 支配地域に変化なし 「石油ショック」おこる



これ以降も現在に至るまで、大小の争いや支配地域の変化など様々ありますが、今の紛争の原因はだいたいここまでのところにあります。詳しく書くことは目的ではないので、これで終わりとします。

とりあえず現在は、イスラエル国内にパレスチナ自治領(ヨルダン川西岸、ガザ地区)があるという格好になっています。



■おススメの関連映画

ミュンヘン」(2005)
1972年のミュンヘンオリンピック事件を題材とした映画

アラビアのロレンス」(1962)
上述の「フサイン=マクマホン書簡」を根拠に反乱を起こしたアラブ人と、策謀のために共闘するイギリス人諜報のロレンスを描く

約束の旅路」(2005)
イスラエルによるエチオピアユダヤ人難民輸送作戦「モーセ作戦」を題材とした映画 黒人ユダヤ人を描く・・・




最後に

今回は、調査はまだよかったですが、記事執筆がしんどかったです。なんだか学校の宿題みたいで 笑
でも何とか終えることが出来ました。爽やかな疲労感が心地よいです。

現在午前7:45分 信長の野望を途中でちょいちょいプレーしながら、何とか書き上げました。

それではみなさん、おやすみなさい。


参考図書(見事に入門書ばかり 笑)

宮崎正勝『早わかり 中東&イスラーム世界史』
島崎晋『目からウロコの中東史』
野口宏『これならわかる パレスチナイスラエルの歴史Q&A』
池上彰『そうだったのか!現代史』
早坂隆『世界の紛争地ジョーク集』

参考web
Wikipedia
yahoo知恵袋